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マゴスへのメッセージ  第2回 「庭と生きる。」 映画作家 大林宣彦
Chapter1
庭は自然界への入り口、そこから自然界を学び取る。
社長: ぼくたちの業界では、“家庭”という言葉は“家”と“庭”という言葉からできている、という表現がよく用いられます。だから、庭は大切なんだとずっと言ってきています。
本音を言えば、相対的に家にお金がかかるのは当然ですが、家とセットである庭にかける予算を、今より少しでも多くして欲しいと思います。ぼくたちは業界人ですから、そこにお金を使ってもらうために、素敵な庭づくりのためのアイテムやプランを提案することが仕事になります。かといって、“家”の次は“庭”という短絡的なPRをしていても効果は少ないと思います。
素敵な庭そのものの提案だけでなく、庭の価値観を高めて行く啓蒙活動をしていく必要があると思っています。

監督: そもそも、家の中に庭があるんじゃない、庭の中に家があるっていうのが、自然なんですよね。ただ、まぁ“巣”がどんどん増えちゃってね。つまり、自然の庭から僕たちが遠くなったから、自然を尊び自然から学ぶために、家の中に小さな“自然”をおいてきたわけですよ。要は学びのためにね。それが、いつの間にか、家の中に庭をつくるというふうになっちゃった。
じゃあ、庭は人間が作るものじゃないかということで、人間が庭を作り出してきたことが、どっかで間違えて“自然は芸術を模倣する”、“自然が庭を模倣する”ってことになっちゃったわけね。だから、やっぱり原点としては、「庭というのは本来自然界であって、その中に家があるんだよ」というふうに考えるべきだと思うね。

社長: そもそも、家と庭を引き離して考えるべきではないと思うんです。
今の家というのは、庭に出るときにドアを開けて一度外に出るんですよね。靴を履いて庭に出て、何かしらの作業をする。そうじゃなくて、縁側から自然にそのまま裸足やサンダルで出て行けるような、家から庭への連続性がある庭であるべきですよね。庭には、花壇や池があり、子ども達のいろんな冒険の入り口があるわけです。トンボが飛んできたりもするわけですから。最近では、縁側や池も少なくなってきているかも知れませんが、デッキテラスや手水鉢のような工夫をされている庭も多く見られます。
そういう家から庭の連続性が、“生きる庭”だと想うんです。作る庭っていうんじゃなく。ぼくたちは、“一緒に生きていく庭”というのを、どうやって提案していけるのかなと想っています。

監督: 僕がなぜ九州で映画を撮っているかというと、九州の大分というところは、すごく庭がいいんです。町を全部“庭”にしてるの。
あそこは、30年くらい前に巨大な工場ができて、企業誘致されたのね。でも、「わが故郷には、モノやお金は要りません。深呼吸ができる空気・緑の山、人がすれ違うときは必ず体がぶつかるから必ず挨拶を交わす、そういう細いクネクネ曲がった道、こういうものがなくなると私たちの暮らしがなくなる。」というので、市民運動でどこの町もほしがっていた大企業を追い出しちゃったんだそうです。だから、あれから30年を経て、日本中が高度経済成長やバブルで人工の庭になってしまっても、あの町には自然の“庭”が残っている。

どういうことかと言うと、まず、街灯がほとんど無いんです。夜、真っ暗なんですよ。まぁ、撮影があると明るいですけど、撮影が終わると真っ暗になっちゃう。おばあちゃんが夜中にお帰りになるから、僕が「気をつけてくださいね、暗いから。」って言うとね、「この町は、私が子どものころから何にも変わっていませんよ。目をつぶってでも歩けるんです。目をあけると、子どものころと同じお月様があります。ウサギが餅ついてますよ。そこに、街灯1本たてたら、月が見えなくなります。だから、街灯はいりません。」と。

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