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マゴスへのメッセージ  第3回 「庭と生きる。」 映画作家 大林宣彦
Chapter1
社長: ぼくたちの業界は、安心や安全を守るため、プライバシーを守るために、塀を高くしようとずっと言ってきています。下世話な言い方ですが、塀を高くすれば出荷数量が増えるわけですから、正直メーカー側としては、望むところでありまして。
先ほどの川のお話 (第2回参照) ですと、塀を高くして、それで安全を守るという発想がうまくないということになりますよね。

監督: うん。同じようなことですね。
塀がなければ、人々が自分で気をつける。塀をつくれば、人々が気をつけなくなる。気をつけなくなるっていうことが、人間の生態系を変え、気をつけないを通り越して、日和見的になっちゃう。

社長: "理由"という映画もそうだったかもしれませんが、あの下町のお巡りさんは、その家の家族構成まで知っている。でも、マンションに住む人たちは、隣の住人が何をしているかもわからない。"理由"の背景にはそういう状態があり、事件の温床にもなっていますよね。
ぼくたちとしても、日本人の心というものを守りたい、あるいは取り戻したい、そんな気持ちはもちろんあります。しかし、実際には、先に申し上げたようなメーカーとしての望みもあるわけです。その為に、何をしていったらよいかなと思っています。

監督: 今の時代、塀が高い方が安全だという意識は、間違いなくありますよね。誰が入ってくるかわからない。城壁のようなところの中に住まなきゃ、危険だという現状になっているのはわかるんだけど。塀を高くすることが、犯罪を生んでいるとも言えるんですよ。
だから、今、人が再生しようと思ったら、どれだけ努力して、塀の役割を変えていけるかが重要だと思いますよ。

隣の人の顔が年中見えれば、危険はないんです。隣の人の顔が見えないで、変な臭いやピアノの音だけがしてくれば、カレーライスの臭いが邪魔だ、ピアノの音はうるさい、ってことにもなるわけだけど。あぁ、あのおばあちゃん、カレー食べてるんだ。あぁ、あのおじいちゃん、ピアノ弾いていて上手になったな、とかね。今日は、つっかえているから悲しいのかなとか。お互いの顔が見えると、みんな仲良しになるんです。
つまり、人の顔が見えるってことが一番大事なことで、人の顔が見えないような塀ではだめですよね。

塀っていうのは、一種のたしなみの為にあったわけであってね。そういう意味で、僕たちはこれからどうすべきかを考えると、庭にすぐつながる、庭がいつも見渡せる家、そして、庭からも家が見えるという環境を、勇気をもってやっていかなければならない。そうじゃないと、やっぱり、人類は滅亡に向うんじゃないかなぁ。
僕は、今が最後のチャンスだと思う。

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