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マゴスへのメッセージ  第4回 「庭と生きる。」 映画作家 大林宣彦
Chapter1
人間にとってではなく、自然にとってよい環境を考える時期にきている。
社長: 環境との共生というお話がございましたが、ぼくたちがやっている仕事というのも、環境型商品を開発・生産をしていながら、一方では環境に悪影響を与えているという側面はどうしても否定できないんですよね。
そういう状況の中で、何とかぼくたちも、環境のためにわずかな一歩かもしれないけど、ある意味、大それたことをやっていかなきゃいけない。 そこで、例えば、平和だとか環境だとかいうものに対して、ぼくたち1人1人ができること、まず何から始めればよいのかなというところの、監督の考え方を教えていただきたいと思います。

監督: 本能で生きている生命たちは、ひとつの道をまっしぐらなんですよ。 人間の考えには、必ず2つの言い方・反対語があって、ことわざだって昔から子ども達には2つの言い方をしてきたんです。

"環境"という言葉は、人間の言葉ですからね。2つの意味があって、人間にとってよい"環境"と自然にとってよい"環境"。 これは、必ずしも同じではないんです。
僕らが"環境"を守ろうというときの環境は、夏でも冬でもトマトが食べられるっていう環境でしょ。 でも、自然にとってのよい環境っていうのは、夏しかトマトが食べられない。 白菜が冬しか食べられない。桜は、春しか咲きませんからね。 もし、桜の花が栄養価たっぷりの食物だったら、人類は、1年中咲く桜をもう発明してますよ。 人間には、そういう賢さがあるからね。 人間には、そうする力がある。それが、文明なんですよ。

それは1つの力で大変なことですが、一方では自然環境を壊しているわけね。 だから、今僕たちが"環境"というときに、人間にとって便利な環境なのか、自然にとってよい環境なのかっていうのは大切なことで、これからは、自然にとってよい環境を考えるべきですよ。 人間にとっては、不便で商売にもならないですけどね。
  だから、その覚悟が必要で「私は環境問題をやっています。」というだけでは、もう済まないという時代になっている。 「僕たちは、経済や人間の便利な暮らしの人間環境ではなく、自然界の環境を取り戻すことをやります。」と言わないと。
みんな、不便かもしれない。 僕たちは、不便というと悪いことのように思うけど、たった50〜60年前は不便だから楽しいねって、人間は思っていた。 貧しいという言葉だって、日本の言葉では"清貧(せいひん)"といって、貧しさは清らかだった。  清貧という言葉なんか、死語になっちゃっている。 つまり、貧しいことはつらいことで、清らかじゃないと。 不便なことは、ただつらいだけで、便利がよいんだと。

つまり、日本は文明的にすごく発達したんですよ、20世紀に。  僕は、それは否定しない。  
文明は発達したし、文明にともなう経済もすごく発達したけど、文化が破壊されたんです。  で、これが今の日本をおかしくしちゃっている。 だから、これからは文化を大事にしなきゃいけないということ。

監督: 国だって、文化芸術振興基本法っていうのを作ったわけで。
なぜ作ったかというと、これまでの人間社会は、文明社会・経済社会ですから。  『赤信号みんなで渡れば怖くない』で、横並びにみんなが並べば、大量生産・大量出荷となる。  でも、それじゃあ人類がもう滅びるよってことだから。  これからは、1人1人が、みんなばらばらな個性を持っていて、違いを尊び合おうと。 そう考えたら、経済は成長しづらいですよ。 1人1人に見合う製品を作っていたら、儲からないもん。 でも、本当に自然環境ということを大事にして、大量生産できなきゃ商売は難しいけれど、本当に自然環境というテーマで商品を作ろうと思ったら、そうなりますよ。
ただやっぱりそれは、人間が今まで培ってきた社会の観念とは、矛盾することをやるわけですから。 とても大変なことだけど、でもそれをやらなきゃならん時期に、今来ていますよね。
 
だから、僕の甥っ子の平田オリザがやっている演劇が1番わかりやすくてね。 彼が今やっている演劇運動っていうのは、海外にも年中いっていますが、地方の公務員たち・行政マン達に教えに行ってるんですよ。 何を教えるかといったら、"おじいちゃん"といっても、1人1人に名前があって、趣味も個性も、身長も体重も、宗教もお金の貯金額もみんな違う。 だから、「こちらの誰々さんにはこうしましょう、あちらの誰々さんにはこうしましょう」というふうに、行政マンは1人1人の個人と付き合わなきゃダメだと。
民主主義の考えがこれからの社会に必要だと考えたので、文化芸術振興基本法っていうのができたわけでしょ。 これは、これまでの文化は保護しようとか、金出して守ろうとかいうことじゃない。 人間の社会作りのために、文化・芸術を役立てようと。 まぁ、そういう時代にきちゃってるんですよね。

戦争ってのは、相手を認めないで、違いを認めないで、みんなをやっつけりゃ自分の世になるわけ。 だから、人間の領有で環境を考えれば、自分の環境をよくしようと思えば、敵国は滅ぼさなきゃいけない。 でも、地球環境ということで言えば、戦争があっちゃいけないじゃないですか。 すべての国の様々な宗教の人達が、みんな一緒に生きているということが、地球の環境だから。
そうすると、敵を認め許すことしかない。 だから、競い合って高めあうのは技術的によいことのようでしたが、人間ってずるいとこがあって、自分を高めるよりは敵を滅ぼした方が、簡単にオンリー1になれるんですよ。 だから、結局その考え方が、戦争につながるんですよ。
そうすると、これからの世紀は、許しあって深め合うという共存・共生の世紀にしなきゃいけない。
その為には、古いものを学んで新しいものを知ろうという"温故知新"の考えね。 だから、最近、オンリー1とか、温故知新という言葉が、自然に人間の言葉として出てきた。 やっぱり、これは人間のすぐれた本能ですよ。 人間が、今願っている本能を言葉に置き換えちゃったのね。 僕たちの本能が何を望んでるかってことは、そこからもわかるわけですよね。
そうすると、これからのオピニオンリーダーである大文明企業や大経済企業が、新しい戦略として、横並び作戦じゃなくお一人お一人に見合うようなものを創っていきましょうと。 もう、あんな高度経済成長はありえない、もうそれは終わったんだ。高度経済成長ってこと自体が、いわば戦争ですからね。 つまり、スローライフというならば、スロー経済ですよ。

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